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行き場がなくて上を見上げた 空の色はもう青だった

   

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05




続いて、二日目を追いかけます。

相変わらずの拙い文章で申し訳ないです。



+++



二日目、8日は
日中は陸前高田での作業、
夜は岩手大に行って、学生さんや先生方との交流会、
というスケジュールになっていた。

私は助手席というとても楽な場所に座らせてもらったことで
自動的にナビ役が降って来たこともあり、
いろいろ疲れることもあったけど、
この日は本当にとにかくひたすらに長い1日で、
それは、感じること、思うこと、考えることもたくさんあったという意味で。
とてもとても、良い経験をした、と思う。



だけどそれは、その日を終えて振り返って初めて思えることで、
実際はそんなに良いものじゃなかった。








言葉を失う、という経験を初めてした。



それほどに衝撃を受ける光景が、目の前に広がっていた。





陸前高田市は、本当に文字通り「がれきの山」。

大きな道の駅(だったのかな…恐らくは)の建物の骨格と
中学校の校舎が半分残っているくらいで、
酷いところは他に建物がない。
本当にまっさら。

そのまっさらになった土地に、瓦礫の山がいくつも作られていて。

まさにテレビの中に広がっていた世界が、そこにあった。



地図とは違う海岸線。
赤く書かれた「解体OK」の文字。
まだ通行止めで工事をしている道路。


今までは、テレビでは見ていてもどこか現実味のなかった光景が
リアルに目の前に迫って来た。



あまりの衝撃の大きさに、言葉がなかった。



行く前は、自分はどんな風に感じるのかなと思っていたけど、
結局想像する前に「現実」を突き付けられて、
それに納得するしかなくて、

……その時の想いを表現できる言葉を私は知らない。


有名になっている、あの一本松を目にしたときの、
あの、わけのわからない気持ち。
心の中がグルグルして、胸が苦しくて、何かがこみ上げて来て、
でも、涙なんてこぼれなかった。


泣くことすら甘えていると感じられるくらい、
次から次へと、信じられない光景が目に映るから。


思わず目を疑ってしまうことばかりだった。
だって、ありえない。あんなこと、普通は起こらない。
カーナビには存在している場所が、窓の外を見るともう海の中なんだよ。
建物も残っていない。
あるのは瓦礫の山だけ。
もう元の街並みを想像することすらできないくらい、
無機質な空間がひたすらに迫ってきた。

怖かった。

陸前高田の海もやっぱりすごくすごく綺麗で。
穏やかで、光っていて、
だけどこの街を壊したのもこの海なんだと考えて、
……考えても考えても、うまくいかなかった。
どうしても、繋がらなかった。

目の前の綺麗な海と、あの津波の映像が。
そこに広がっている瓦礫が。


でもそれが、まぎれもない「現実」で。


ああ、本当に、津波が全部攫っていってしまったんだ、と
ぽつりと呟くことしかできなかった。








ボランティアセンターは、宮古とは雰囲気が全く違っていた。
社協の建物も津波に流されたこともあり、
運営もみんなボランティアさんたちで。
小さいところに大勢のボランティア団体が集まって、
ギリギリだけど手作り感に溢れたボラセンだった。

宮古とどっちが良いかとかいう話ではない。
ただ、明らかに宮古とは違う世界だと思った。
同じ被災地でも全然違うんだなって感じた。


ただ同じだったのは、そこで働いている人たちの姿。


みんな笑っていて、明るくて、元気で。

それでもここもちゃんと生きているんだなって、心に沁みた。




割り振られたボランティアは瓦礫撤去。
炎天下だし、民家の敷地内に積み上げられたものだから、
当然屋根も日陰も何もない場所。

私達と、同行してくれていた岩大の人たちと、
計8人での作業になったのだけど、
それでもちゃんとこまめに休憩が入って、
しかも陸高は作業が14時までって決められていたから、
それほど辛さも苦しさも感じることはなかったのだけど。


依頼された場所以外にも、周りを見渡すとひたすら瓦礫の山があって。
その中には船すらあった。
本当に船が打ち上げられているんだよ。


作業そのものも肉体労働なのに、見える風景がそれだから。
その先にリアス式海岸が見えてもどうしても眉をしかめてしまって。

だけど、重機を動かしていた方が、
私達の撤去した瓦礫の処理を手伝ってくださったり、
あとは依頼主さんの存在だったり、
そういったいろいろなものが作業を進めさせてくれた感じ。




そうは言っても、気持ちはそんなに簡単じゃなかった。


ポストカード、食器、アイドルのフォトアルバム、……

日常に近づいているものを撤去するということは、
想像以上に辛かった。切なかった。


宮古での泥上げとの違いは、それが一番大きかったように思う。





だけど、そんな作業だったけど、
依頼主の方と最後直接挨拶をすることが出来たのは大きかった。


ボランティアをしていて感じたのは、依頼主さんの存在の大きさ。
そのおかげで、やる気になるものなんだよ、不思議なことに。
別にお礼や見返りを求めるわけではないけれど、
いてくれるだけで、「その人のためになっている」と、気持ちに救いが生まれる。

ましてや、汗をかいたあとに「ありがとう」って言われたら。
「自分でやらなきゃいけないかと考えていたんだよ」って。
そんな、8人でも結局微妙に終えることが出来なかった瓦礫なのに。
そう言われたら、もう疲れなんかどこかに行くんだよね。
冗談でなく、やってよかったと心から思えるの。
ああ、ちゃんと役に立ったんだって。
自分の力は本当にちっぽけだけど、でも意味のないものではなかったんだって。
これ以上ないくらい、温かい気持ちになれた。





被災地に生きる人の強さを目の当たりにした気がしたんだ。
敢えて、暮らすではなく生きると表現したい。
きっと元に戻る。
そう希望を強く持てるくらい、前を向いているように思えた。
優しかった。






瓦礫を見ても泣かなかった、と言ったけれど
この日一番危なかった、目元が熱くなったことがある。

それは、ボラセンで作業先に向かう前にもらった紙の中にあった、
“市民のみなさんの気持ちです”という部分。


「自分たちを助けに来てくれた人がケガをしたり亡くなったりするのは申し訳ない」
「多くの人たちが亡くなった現場でこれ以上死傷者を出したくない」


だから、体調管理や怪我には十分気を配ってください、と促すもの。

私はこの言葉を見たとき、本当に泣きそうになった。
その、切ないくらいの心からの気遣いに。
自分は今そういう場所にいるんだ、と痛感した。
「多くの人たちが亡くなった現場」にいるんだと。

思わず目を閉じて、黙祷した。











+++




長くなったのでここで切ります。
続きは交流会でのことを少し。

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