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行き場がなくて上を見上げた 空の色はもう青だった

   

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06




岩手大のキャンパスの一部を借りて、行った交流会。
わりとメインイベントに位置付けていたのだけど、
ここで聞いた言葉にもたくさん考えさせられることがありました。



+++




初めに、自己紹介を兼ねて
今回の震災について、行ってきたボランティアについて、
自分が感じたことや考えたこと、想いなんかを述べていったのだけど。

そこで自分はやっぱりロクなことを言うことができなくて。
とにかく、
実際の光景を見て言葉なんか出てこなかったこと、
だけどみんなが笑顔で明るく振舞っている姿を見て
時間は着実に過ぎて行ってるんだということを
改めて感じさせられた、ということ。
そして、ボランティアは決して「すごい」ことでも「偉い」ことでもなくて、
だからこそこういう経験を出来たことを驕るような自分でいないようにしたい。
すごく良い経験だったけど、だから偉い、なんて思わないようにしたい、
っていうことしか言うことができなかった。


改めて考えても、それ以外言うことは出来なかったなと思う。
今だって、言葉で表現することにとても困っているんだから。




そんな中、岩大の学生さんの言葉で
すごくすごく心に残っているものがある。


「東北に笑顔を、と言うけれどもうみんなが笑っている」


その通りだ、と思った。
そういう現実を私は見たんだ。
だから、そのスローガンと現実とのギャップに
どうしても混乱する部分があったんだ、と。

それは直接行かなければ気付くことができなかったかもしれない。
気付くことはできても、実際に自分自身で感じることはできなかったと思う。


関東で考えていたよりもずっと、
みんながちゃんと前に進んで生きている。


やっぱり行かないとだめだよ。

わからないことだらけだ。





だけど、それだけじゃない。


「離れた場所からでも出来ることはある」
「いつも考えてくれなくてもいい」


被災地から遠く離れた場所に普段生きている私達だけど、
直接被災地でのボランティアをする以外にも
これから10年単位の復興を目指す東北地方のためになることは出来る。


ただ、それが何かっていうのは自分で考えなくてはならない。
そのための“想像力”が何よりも必要なんだ、ということを教わった。

だからこそ、今までとは違った目線から震災の現状を見ることが出来ただけで、
すごく大きなことだしそれが重要なんだと。





私は募金とか、節電とか、
目的も結果も不透明で曖昧な行動が
どうしても独りよがりなように思えて苦手で。
偽善でも善な行為ならまだいいけど、
ただの自己満足になってしまうようで怖かった。

だけど今回、目に見える形でのボランティアを経験して
こういう形なら頻度は限られるけど続けて行きたいと思ったし
そう考えると関東でも何かやりたいって思うようになる。

その形はこれから、自分なりのアプローチというものを見つけていきたいと。
行ったからこそ知ることが出来た現実を踏まえた形で
東北と接していきたいと、思った。







すごく有意義な時間だったように思う。









そして翌日。
車で盛岡から仙台まで行く、ということしか決まっていないスケジュール。


想像以上にハードな、辛い現実がその間には広がっていた。





宮城県に入って、市街地を見ることが出来たのは
主に気仙沼と石巻だったのだけど、
どちらも被害がとてもとても大きかった場所。

宮古や陸前高田とはまた違った現状がそこにはあった。



ここでも、言葉を失った。




陸高はきっと、完全に街が攫われてしまったから。
瓦礫としてしか残らなかったのだろうと想像する。
だから、重機で一気にまとめて固めて、
私が見た「瓦礫の山」という形にしていたのだろう。


だけど、こっちは違った。

何が違うって、まだ建物は残っているところ。
骨格はある。場所によっては二階や三階も残っている。
だけど、一階は何も残っていなかったり、
壁がボロボロになっていたり。

そういう状況である以上、一気に業者が片付けることができないから。

まだ、残っていた。
あの津波によって壊された街がそのまま。



それはそれで、また違った衝撃で。

5ヶ月前に戻ってしまったかのような、恐怖感。




言葉なんて、見つからなかった。





ボランティアによる手伝いが入る以前の状態であることは明らかで。
これからゆっくり、戻っていって、
元の綺麗な街の姿を絶対に見たいなと祈るような思いになった。




気仙沼はそんな感じだったのだけど、
正直、石巻はもっと酷かったと感じた。




たくさんの通行止め。
点灯していない信号。
手信号のために立っている「愛知県警」の警察官。


まだ片付けられていない瓦礫もあるし、


これも、震災から5ヶ月経った現実の一つなのだと。

思い知らされた。
辛かった。


これからなんだと。
ここは、これから一歩一歩、復興に向けて進んでいくんだと。

あの日氾濫したであろう川を眺めながら。
微かに残る元の街並みの面影を探しながら。

自分に何が出来るのかを考えさせられた。








この三日間で見たのは、本当にいろいろな「現実」。

すごく辛かったし、何が出来たわけでもないけれど、
場所によって全く違う光景が広がっているということ、
被災地と一言で言うことは簡単だけど、
集落それぞれに抱えている事情があって
復興へのペースも形も異なるのだということ、

そういった現状を目の当たりにしただけでもすごく大きなことなのだろうと。

想像はあくまでも想像でしかないのだと痛感すると同時に
自分は本当に貴重な経験をしたのだと、思った。







+++





翌日の1人観光に関しても触れたいと思います。
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大学生
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某大学の経済学部1年女子による
授業外有志活動・東北ボランティア企画の記録ブログ。

今夏の期間限定です。
あくまでも個人記録なので悪しからず。

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